Soliloquy box

松葉が纏まりのない文章を溢すだけの箱

「悪夢を見た、ただ、それだけの話さ。」

 こういう形の文章を書くのは随分と久しぶりだと思う。完全な日記に似た文章は。最近は自分の感情の波が荒立っても、こうして長文を書くというよりはちょっとした小説に似た文章の中に落とし込むことが多かった。この場合の荒立つというのは何も怒りというわけでは無い。人に対する怒りは、私の中であまり喚起されることは無いからだ(自分に対しての怒りは時折生じるけれど)。本来なら以前から開いていた全然違う場所の日記サイトに投稿しようかとも思ったが、大学を卒業してから開きたいとも思えず健忘録化しているので新しく開設することとした。念の為記述しておくが、松葉に少しでも好感を持ってくれている人(居るかどうかは考えないことにしている)はきっと幻滅するだろうし、リアルの知り合いにも言っていないことが出てくる可能性があるので、調子が悪い時や私に対してあまり良く思ってない時に見ることはお勧めしない。それで嫌われてしまったら普通に悲しいので。まあ、大丈夫だろう、という方のみどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 知らぬ間に幸福になっていた。これは私が高校生や大学生の頃に望んでいた幸福と殆ど変わらない。就職し、個人的には毒だと思う親から離れて、尚且つ仕事が楽しい。楽しくないことももちろんあるし、まだ新人だからかもしれないけれど、すごく楽しい。そして、そのお給料で自分の生活が送れている。好きな食べ物と、服と、推しのグッズが買えて、好きな所へ行ける。会って、話して、遊んでくれる友達もいる。嫌なことを言ってくる人も殆ど居ない。ずっと仲良くしていた友人と縁を切ったことを、何故か何も知らない中学の同級生に否定されたくらいだ。その人は今私のLINEにずっと既読を付けていない。ちょっとどうなのかと思ったが、その人も私の言葉がトリガーになって感情を掻き乱されてしまったなら仕方ないのかな、とも思う。別にその人とそのことについて話し合おうがしまいが、私は友人(だった人だが)と復縁するつもりが無いので、正直何でもいいと最近は思っている。
 話を戻そう。そう、幸福。幸福とは何だろうかと夢想を始めてしまうと、必死に繋ぎ止めている自我が更に崩壊しそうなので辞めておく。鏡に向かって「お前は誰だ」と言い続けると自我が崩壊する、というのが一時期流行ったが、それと似たような事だと思う。自分自身が不安で気にしていることを突き詰めすぎると壊れてしまう、だけのことなのではないかと。それで、私の中の幸福と言えば、ほぼ先述したような事だった。何かに追い立てられない、誰にも阻害されない、それなりの生活。お金にも地位にも特に執着していない(勿論、生活していけなかったり虐げられたりするのは嫌である、あくまで最低限の人権が守られたうえでの話だ)ので、本当に穏やかな生活だと思う。幸せ、なのだろうと。
 けれど、私はずっと何か焦燥感や不安に似たものを感じ続けている。私は華の十代後半、それこそ一般的な高校時代の半分以上を所謂"メンヘラ"として過ごした(これに関しては追い追い深掘りするかもしれないし、しないかもしれない)ので、ある程度のものは仕方ないとは思っていた。そう簡単に抜け出せるのなら、私の16~19歳はもう少し良いものだったと思う。その時の経験が自分の中で活きている部分もあるし、これもまた自我が崩壊しかねないので、完全悪だったとは言わないが。"メンヘラ"が病んだらのめり込むようなことを、あの頃に殆ど経験した。その名残で私が袖無しの服を着れないとか、調子が良くないと人混みに行けないとか、まあそういう後遺症もある。ああそうだ、今は深掘りしないんだったっけ。話を脱線する癖は、文章でも治らない。けれど文章は良い。読み返せば戻ることが容易だから。さあ、また話を戻そう。
 それなりに幸せな、丁度良い温度の温泉にずっと浸かっている。それなのに私はほぼ毎夜(夜とは限らないが、疲れた時に生じやすいのか仕事が楽しいと感じている故か、夜が多い)、不安というか、固定観念のようなものに襲われる。漠然と”もうダメだ、終わりにしなければ”という思いに駆られる。希死念慮、が一番近いかもしれない。別に仕事で失敗したとか、そういうことが何もない日でも、何なら褒められた日でも、気付けばそう思っていて、それを抑え込むように眠ったり、ただ天井を見上げて無になろうとしたりしている。

 もしかしたら心のどこかで、自分が本当に幸せになっていいのか、と思っているのかもしれない。それは"メンヘラ"だった頃からずっと思っていたし、周りから言われることもあった。生活は破綻していたのに、「お前のそれは甘えだ」と詰られた経験が、今も自分へ蔦のように絡んでいるのかもしれない。結局、メンヘラはそう簡単に辞められないし、人格形成の中で大きく肥大してしまえば、それはもう一生付き合っていかなければならないものなのかもしれない。けれどまだ、自分の器がそれを受け止めきれる程、大きく頑丈になっていないのだろう。継ぎ接ぎを繰り返しているのだ。何処まで持つかは判らない。ただ、私は今きっと、幸せの中に居る。

 

 突然、しかもブログを作成して最初の記事がこれ、というのはなかなかエグいなあと思う。誰かのトラウマを抉ったり、不快な思いをさせてしまったりしていたら申し訳ない。注意書きは書いたものの、結局こういうものは見てみないと解らなかったりするから。けれど、私がTwitterで零す文章たちは、この自分によって形成されているので、もうどうしようもないのだ。

 最後に、"職場の人間に悪口を言われ呆然と帰宅していたら、突如現れた友人だった人に嘲笑されながら追いかけ回され泣き喚きながら逃げる”という悪夢を見ただけで、二度寝出来ないし何処かへ記録したい!と思い立ち、これだけの文章を書く人間は気持ち悪いなと思いました。おしまい。

アイコン等は此方のサイトからお借りしております→ (http://www.nanos.jp/snb373/)